「たしなむ」ということ
「たしなむ」という言葉は、不思議なやまと言葉である。
「たしなむ」という言葉には、「好んで親しむ」という欲求と、ある種のつつしみ・抑制のようなものが同居しているということであり、その両者の程よい加減において語られているのである。
お茶を「たしなむ」「書をたしなむ」とはいうが、「パチンコをたしなむ」「花札をたしなむ」とは言わない。「たしなむ」のは、それらを好んで楽しみながらも、おのずと節制のきいた「たしなみ」が身につくようなものとして営まれているからである。
そしてまた「たしなむ」と言う励み方・努め方は、無理して・我慢して、といった、いやいやながらする刻苦精励の在り方ではない。そのこと自体を「好みながら励む」ところに、あるいは「励みながら好む」ところに、この言葉の独特の語感がある。
だからこそ長続きもするし、またおのずと成長・上達もするのである。「好きこそものの上手なれ」とは、そのことを物語っている。
竹内整一(東京大学名誉教授)